ベトナムの「ドイモイ(刷新)政策」とは

      2016/05/17

ドイモイ政策

1986年のベトナム共産党委員会によってベトナムは大きく方向転換をしました。それがベトナムの「ドイモイ政策」と呼ばれるものです。「ドイモイ」は日本語で「刷新」と訳されるものです。

ここでは、その「ドイモイ政策」によってベトナムがどのような変化を遂げたのかを興味深く探ってみたいと思います。 「ドイモイ政策」からの今日までの変遷と今後のベトナムについて改めて考えてみたいと思います。

「ドイモイ」の意味するもの?

ドイモイの意味は変わる

ベトナム語で「ドイモイ」は「DoiMoi」と書き、 ドイ(Doi)は変化、モイ(Moi)は新しいという意味で、日本語に訳せばまさしく「刷新」です。大きく変化を遂げることを意味します。

具体的には、ベトナムが従来の社会主義を捨てて新しい国づくりへの方向転換をしたと言えるものです。1976年の南北ベトナム統一以来、社会主義体制をとってきましたが、そのことが今後の新しい国づくりの障害にもなりえるとの考えの元、1986年のベトナム共産党大会で下記の4つのスローガンが決定されました。

  1. 社会主義路線の見直し
  2. 産業政策の見直し
  3. 市場経済の導入
  4. 国際協力への参加を進める

市場経済への大きな方向転換

やはり、一番大きいのが、3.市場経済の導入ではないでしょうか。国営、公営以外に私企業や私有財産を認めることになりました。これによって国民の意識が大きく変わり、ベトナム経済活性化の原動力となりました。

市場経済の原理で働けば働いた分だけ豊かになるという仕組みが取り入れられたことは大きいものです。

また、具体的な政策として、 企業の自主的裁量権の拡大、農業請負制の導入、自分の企業、自分の農地としての意識改革がなされました。さらに海外資本の投資なども受け入れ、大きな対外開放政策をとるようになりました。そして共産党党内の民主化推進など様々な改革および刷新が「ドイモイ」と言えます。

「ドイモイ」の成果

ドイモイの成果は上がった

その後の2002年には実質経済成長率が7%となり、大きな伸びを見せています。ベトナムが「ドイモイ」政策以降、中国に似たように急激に経済成長をしていると言えます。
エネルギッシュな雰囲気を感じるような経済状況にあります。とは言っても、約8割が農民や農村居住者と言う農業国ベトナムです。近代化、工業化を図る「ドイモイ政策」はその当時はあまり農業までは重視していなかった政策でした。

農業における「ドイモイ政策」のその後の実態 

しかし、ベトナムは「ドイモイ政策」の影響で、農業面でも輸出大国に急成長しています。かつて米の輸入国だったベトナムが1989年に突然世界3位の米の輸出国と変貌しました。
これも1986年の「ドイモイ政策」で、農民が自分の農地を増やし、作物を売る相手も選べるようになったという、農業への市場原理の競争原理が導入された結果です。

しかし、一方で自給自足的な生活から、様々な電化製品や新しい生活用品のためにもっと多くの所得を稼ぐことも必要になり、農家の人達の欲望はもっとかき立てられる結果となっています。経済成長は遂げていますが、そこには格差も生まれているというのも現状です。都市部と農村、農村間でも格差が生まれています。
現在、主な農産物の輸出は、こしょう、米、コーヒー豆で、近年都市部での工業化はますます進み、農業人口が徐々に減少しているという傾向もあります。

「ドイモイ政策」による貧富の格差も

貧富の格差イメージ

経済発展に伴う貧富の格差に対して、党と政府は貧困家庭支援等に積極的に対応していますが、2020年までにはさらなる近代工業国家として成長することを目標に高い経済成長を目指す方針を掲げています。

また、海外からの直接の投資も政治的な安定と安価な労働力を背景に増加しています。世界の生産拠点としてベトナムが注目を浴びています。また、インドネシア、フィリピンに次ぐ東南アジア第3位の人口を抱える有望な市場としても注目され始めています。
そのどれもが「ドイモイ政策」による市場経済の導入、海外へ向けても開かれた市場としてベトナムが注目され始めたことによると言えます。

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